2016年10月3日月曜日

私が働く理由 -それは小学生の頃に決心してから今も変わらない

私が働く理由。
それは、
「お金で解決できることはお金で解決するため」
です。

私の実父は6人きょうだいの長男で、父の父は早くに亡くなり、10代の頃から家長の役割を果たしてきました。
母が父と結婚した時には、姑と小姑4人(すでに妹1人は嫁いで家を出ていた)と同居で、合計7人は3部屋で暮らしていました。
(ちなみに、私のきょうだいと私が生まれて9人になっても3部屋+増築の3畳間のみ。もうどうやって生活していたんだろう???)

その後、10数年の間に、父のきょうだい達は独立しました。
祖母が生きている間は、皆、平穏無事(を装って)に生活していましたが、祖母が亡くなって1~2年もすると様々な問題が表面化。

叔父夫婦の離婚する、しない。
別な叔父が、事故を起こした。
叔母の住むアパートで水漏れを起こし、階下の部屋を水浸しにしてしまった。
また別な叔母の借金問題

…など、様々な問題が、週末のたびに我が家の父のもとに持ち込まれていた気がします。
父がその都度、相談に乗り(実は父も頼られるのは嫌いではない)、必要なら先方に出向いたり、お金を出したりしていたのは、たぶん幼稚園生の頃から気づいていました。

その中でも、私の価値観に大きく影響したのは、叔父の離婚騒動でした。
奥さんが子供2人を置いて家を出てしまい、父が奔走して戻ってきてもらったり、でもやっぱりダメで、最終的には離婚となりました。

その間、私にとってはいとこになる2人の子供は、週末は我が家に来て、ご飯食べたりお風呂に入ったりしていました(家が近かったので)。
それはそれで、いとこたちと遊べたので私は楽しかったのですが、ふとした時に、いとこたちが寛いでいない様子に、心が痛みました。

「おじさんもおばさんも、子供がかわいいのに、なんでうまくやろうとしないんだろう?」と、単純に疑問に思っていた気がします、怒りというよりも。

その時に、
「大きくなったら、自由に好きなことができるから、早く大きくなりたいと思ってたけど、大人になっても思い通りにならないことがあるんだ。人の気持ちはどうにもならないんだ」
と実感しました。
そして、
「そうなら、せめてお金で解決できることはお金で解決しよう。」
「苦労は買ってでもしろとか言うけど、私は嫌だ。」
「それには、結婚相手頼みではなく、自分で稼がなきゃ。」
(大金持ってる夫でも、それを自由に妻に使わせるかどうかは別だから)
と、遅くとも小学校6年生の頃には、固く心に誓っていました。


そして、自分の両親の離婚騒動も経て(結局は離婚せず)、いよいよ、自分で稼がねばという気持ちが強くなりました。

以前、医師でタレントの西川史子が、
「母から、すべてのことはお金で解決できる。できないことはないと言われて育った。」
というような発言をしていて、私は心底羨ましいと思いました。

「何でも解決できるだけのお金があるから」ではなく、「お金で解決できることしか、西川家には起こっていないから」です。

例えば、重大な犯罪の被害者になってしまった時。
いくら相手が死刑になろうと、何億円と賠償金を支払ってくれようと、心の傷は治せません。もちろん、賠償金は無いよりはマシですが。
考えたくもありませんが、大切な家族を殺されて、お金で解決できますか?という話です。

私自身はそこまで深刻な事態に遭ったことはありませんが、でも、子供の頃にすでに「お金で解決できない問題」には直面しました。(もちろん、上記の叔父の話ではなく、私自身の身の上に起こったことです)

だから、私が生活費や貯蓄について考える時、自然と悪いことへの対処のためとして考えています。娯楽とか買物のために貯金したいとは考えたことないです。
いや、考えることはありますけど、心底「お金貯めなきゃ」という時に自然と頭に思い浮かぶのは、負への対応(災害、事故、病気など)だということです。

でも、そろそろ、楽しいことのための貯蓄も考えたいんですけど、思い浮かばないのです。。。


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