2017年1月28日土曜日

またページが切り取られた雑誌が送られてきた

先日、アマゾンで購入した中古の雑誌のページが切り取られていたことを書きました。
ネット通販トラブル

これに関しては翌日、出品者からメールがあり、お詫びと返金する旨が書かれてあり、またアマゾン経由のメールで返金処理がされたとの連絡もあり、ほっと一安心しました。

で、気を取り直して再度アマゾンで同じ雑誌を検索したところ、他の出品者が販売していたので購入。きょう、その本が届いたのですが、

またしても、一部、切り取られている!!(; ・`д・´)

もちろん切り取られているのは前回とは別な部分ですし、今度は5~6ページなので欠損ページは前回よりは少ないのですが。
(多い少ないの問題ではないとは思いますけどね(^^;))

前回返品を申し入れたのは、私が目当てにしていた記事の部分が切り取られていて、そこがなければその雑誌を購入する意味もなかったから。

でも今回切り取られていたのは私には興味のないページだったので、考えた末、これはこのまま購入することにしました。もう8年も前の雑誌なので、新品はおそらく出版社にもないでしょうし、私が欲しかったページが手に入っただけありがたいわけです。

ただ、先日も書きましたが、やっぱり中古品をネットで購入するのはリスクがありますね!
今後、中古の雑誌を購入する際は「メールで自分の欲しいページがちゃんと残っているか」を注文確定後に、出品者あてにメールで確認しようと思いました。

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2017年1月25日水曜日

ネット通販トラブル

うむむ。。。
まだ「トラブル」にはなってないのかな??

アマゾン出品者(マーケットプレイス)から、雑誌を購入しました。
数年前に発売されたものなので、中古品(古本)です。
特集記事の手帳の使い方の参考にしようと思いまして。
値段は送料含めて450円ほど。

届いたら案の定、立派な中古です(笑)。
まあしょうがないよね、と納得しながらパラパラめくりましたが、お目当ての記事が目につかない。
目次で検索してページを探したら。。。

ページが無い!
12ページほど抜けています。
よーーく見ると、カッターで切り取られた跡が確認できます。
(おそらく、元々本屋さんに売った人が切り取ったのでしょうね)

すぐにアマゾン経由で出品者にメールを送り、今は先方からの回答待ちです。

……でも。

販売する側からしてみたら、こうも考えられますよね?

「買った人(ニコ)が、自分に必要なページだけ切り取って、返品返金処理させようとしている」と。


私のいけない癖なのですが、先々を考え過ぎて(しかも悪い方へ)、
「揉めたらどうしよう~。やだな~。疑われるのかな~。」
と思ってしまうのです。

出品者の評価はアマゾンでは★4.7と高評価です。
こんなゴッソリとページが抜けた雑誌を故意に売るなんてことはしないでしょうし、もちろんチェックミスだと思いますが、それだけに出品者は自分のチェックに自信があって、私の悪意と思わないかなぁ、、、と考えてしまうのです。

ネット通販はこういうことがあり得るので、私は基本的には、
1.中古品は買わない(程度の説明とこちらの理解に差が生じるから)
2.アマゾン本体から買う(マーケットプレイスは安くても原則使わない)
というマイルールを設定しています。

しかし今回は古い雑誌が欲しかったので注文したらこんなことに!!(>_<)


先月は、北海道の一般のお店で、出汁用の羅臼昆布を2袋購入したのに、1袋しか送られて来なくて、これも「お店の人が信じてくれなかったらどうしよう~~」とドキドキしながら電話したら、平謝りですぐに追加で送ってくれましたが。。。

人間がやることだからミスは仕方ないし、怒る気は全然ないんですけど、
「私の言うこと、信じてくれるかなぁ」とドキドキします~~。(´・ω・`)

アマゾンでは毎月何度か注文してるけどめったに返品しないし(するのは説明文と中身が違っていた場合など。日本製って説明だったのに実物は中国製だったとか)、アマゾンの人(?)が私の履歴を見てくれれば、変なことしないって分かってくれるだろうけど、初めて購入する出品者さんはどうなんだろう。。。

「2日間は待て」とアマゾンの説明にも書いてあるので、待つしかないのですが。。。

まあ、私のように自営業で外に買いに行けない人間には、通販の恩恵はこの上ないものです。
今回のようなトラブルなどのデメリットよりはメリットの方がはるかに大きいので文句は全然ないんですけど、結着するまでは落ち着きませんねーー。


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2017年1月24日火曜日

亡き犬へのお供えはお水だけ

死んだ犬のことばかりですみません。
でもまあ、ブログってやつは見に来たい人が見てくださるものだと思うので、誹謗中傷でなければ何を書いても良いのだろうなと勝手に考えて、書いております。


犬のYを見送って、まだ1週間足らず。

このブログにもメソメソしたことを書きましたが、今のところ、想像していたよりも大丈夫な感じです。
他の犬や猫の時の方が、精神的にもっとしんどいこともありました。

今回のYは、「最終的には(=痛みの緩和ができなくなる時)安楽死することになるだろう」と獣医師から言われていて、この先がそう長くないことは理解していたこと。
手術を6回もし、7回目の手術は先生から断られ、いよいよYの人生(犬生)の最期が近づいていること。
先代の犬Sは、最期の数か月苦しい生活を送らせてしまった反省と後悔。

・・・そんなことが事前に自分の中で考える時間があったので、心づもりもだいぶできていたのは大きいと思います。


でも、お花を供えるのは嫌なのです。
これは先代のSの時にすごくしんどかったことなのですが、普段、犬とお花って全然関係ないのです。
すごく違和感あるのと同時に、お花のお水を変えたりする時に、「死んだんだ」ということを突き付けられて、ものすごく心が揺さぶられました。
それから死んだ犬と重なるのか、お花が枯れていくのを見るのもつらかったです。

ということで、Yにはコップに注いだお水だけ。お骨の前にお供えしてあります。
実はこれは夫がやってくれました。私はそれすらやりたくない気持ちでした。(お花を供えたくない理由と同じで)
だから、好物だったものをお供えすることも嫌なのです。

ひどい飼い主かもしれないけど、今はとてもそんな気になれないのです。

フツーの生活を送りたい。
その中で、もうYがいないことを少しずつ認めていかざるを得ない。
そんな慣らし運転な日々を送ろうと思います。


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2017年1月22日日曜日

「あなたが厳しい人だったら良かったのに」と夫に言ってみた

夫は基本、優しい人だと思います。

アレしろコレしろと言われたことはまずありません。
私がちゃんとやってるわけでもありません。
食事やお弁当が作れなくても、2~3日洗濯物を干しっぱなし(もちろん室内ですけど)でも、掃除ができてなくても文句言いません。
私が「ごめん、きょうは夕食の準備できなかった」と言うと、「仕事が忙しかったんでしょ?良いよ良いよ。どっか食べに行く?それともお弁当みたいなの買って来ちゃう?」と。

特にここ1年位は、掃除、洗濯、食器洗って収納などは自らやるようになりました。
(まーー、ここまで来るのに相当時間と手間がかかったんですけどね、最初は何にもしなかったから。)
料理はチャーハンくらいで、あとはほとんどできませんが。


昨日書きましたが(「何もしたくない、引きこもりたい」)、

寝室でお布団に入った時に、隣の夫に言ってみました。

「『飯ぐらい作れよ!』とか『犬が死んだくらいでダラダラするな!』とか、
あなたがそう言ってくれたら、私もちょっとはシャキッとすると思うのよねー。
私にビシッと厳しくしようと思わない?」と。

それを言ってる最中から、夫は、
「フフフ、、フフ、アハハハハ…」
と、笑ってます。肩から下をすっぽりお布団にくるまって、目をつぶった顔だけ出して笑ってます!

笑ってるだけなので、しつこく「ねぇ、どうなのよー」と突っ込むと、
「俺がそう言ったら、何か返ってくるでしょー?(笑)」
と言いながらまだ笑ってます!!

私「そりゃ、いろいろ言い返すと思うわ~」



夫「zzz…(-_-)zzz」


寝てるっ!!
眠り込んでるっ!!

まあ、なんだ…。

夫の、こういうおおらかなところに私は救われてきたのだなと思う、これまでも。

楽しそうな笑い声ってイイもんだ。
いや、そんな笑わせること言ったつもりないんだけど、何だかもうどうでもよくなって、私も目を閉じました。


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2017年1月21日土曜日

何もしたくない、引きこもりたい

気づくとボーーーっとしている。

別にYのことを考えている意識もない。

確かに疲れは溜まってるんだと思う。
11月頃から体力気力を使うことが多かった。
仕事も親のことも頑張りたいと思った。
でも、思うほどには何もできなかったとも思う。

風邪をひいて、今も回復し切れなくて体力が落ちてるのは間違いないけど、何もできないほどじゃない。


食事を作りたくない。
なんで?

作りたいもの、食べたいものが思い浮かばない。
でもお腹は空く。
なんで?

ただ怠けてるだけ?


こんな時は、夫が厳しい人だったらなぁと思う。
「飯ぐらい作れよ!」とか、
「犬が死んだくらいでダラダラするな!」とか
言う人だったら、私ももうちょっとシャキッとするんじゃない???

いや、そんなこと言われたらきっと、
「自分こそ、たまにはご飯作りなさいよ!」から始まって100倍返ししてるよね(笑)。



ただただボーーーっとして、お布団かぶって眠りたい。
今思うのはそれだけ。

夕べもメソメソしながらお布団に入って、これじゃ鼻が詰まって眠れないと思ったのに、あっという間に眠り込んでいた(と思う。)

でもほんと、そんなに悲しい気持ちはないんだよ。

なのに、涙が出たりボーっとしちゃうのはなんで???

なんでなんでなんで???

もう本当に嫌だ。


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ペットの死を乗り越えようとする日々

これまでも、私は何匹かの犬猫の死を経験しましたが、乗り越え方は毎回違うのでした。

私にとっては同姓の先輩のような、あるいはお姉さんのような存在だった猫「O」が死んだ時、毎日毎日本当に辛くて、暗い夜道を歩いている時など、たまらなくなって彼女の名前を叫びたくなりました。

ただただ耐えるだけの日々を過ごしていて、ある時、夏の晴れた空を何の気なしに見上げた時、
「あーー、きれいな空、この空の上にあの子はいる。もう苦しんでないんだー」
と思ったら、すこーし気が楽になり、それをきっかけに徐々に、本当に少しずつですが辛さが薄まりました。(もちろん揺り戻しはありますが)

別なオス猫「K」は、最期を看取ることができませんでした。
闘病中でしたが、ちょうど元気を回復してきて目もキラキラしていたので、安心してちょっと長めの買い物に出かけて帰宅したら、もう息を引き取っていました。

玄関開けて、何となく嫌な予感がした感じ、他にも猫はいたけど妙に静かな感じは今でもはっきりと覚えています。
素直でどんくさい、でも甘えん坊のKを看取れなかった。1人で旅立たせてしまった後悔と寂しさで、しばらくは気持ちがすさみました。
この子の時はどうやって乗り越えたかも思い出せないので、「時間薬」の力だったのだと思います。

先代の犬の「S」も保護犬で、愛護協会からもらって来ました。
他の犬と雷と車に乗るのが大嫌いで、飢えていた期間が長かったせいか食べ物には貪欲でよく拾い食いをして困りました。しかしそんな彼女の来し方を想像して切なくもありました。
ちょうど私が自営業を始めて仕事が軌道に乗るのか心細かった時、仕事場の隣にいたのがSで、予想に反して番犬の役割も果たしてくれたりして、頼もしい存在でした。

やはり癌でしたが、私が「ここを乗り越えれば大丈夫なはず…」と思い込み過ぎて(獣医さんのせいにするわけでもありませんが、打つ手なしの宣告もしてはくれず)、苦しい思いをさせてしまいました。
「あ、これはもうダメなんだ」と気づいたのは、呼吸が止まる数時間前でした。
それがSには本当に申し訳なかったです。

ずっとそばにいたSが居なくなってしまった喪失感は想像以上にきつかったです。
まさか自分がペットロスになるなんて思ってもみませんでした。
日々の生活の中で突然涙が出るというのに加えて、死んで3か月後くらいに、心臓がバクバクすることが起きるようになりました。

Sが死んでしまったことは完全に受け入れているし、生き返って欲しいとも思わない(あんなに苦しい思いをさせたくない)。でもこの「寂しい」という気持ちはどうしようもない。
行き場のない寂しい気持ちを抱えきれずにいました。

ある時、新聞のコラムに田辺聖子のインタビュー記事か何かが載っていて、
「寂しさは、なくなりはしないけど、薄れはする」
と。
(厳密な表現は違ったかもしれません。)

ああ、そうかーーー。
この寂しさはなくなることはないんだ。
でもいつかは薄れる。
だから、日々をただ過ごしていけばいいんだ。
…と、少し気が楽になりました。

寂しいという自分の気持ちをなくそうとするから、逆に苦しい。
そもそもなくならないのだと受け入れれば、その方が気持ちは落ち着きました。

しかし私のペットロスの症状は治まらず、獣医師に話したら、
「そういう人ほど、次の子(犬)を迎えた方が良いんですよ。前の子に遠慮することはないんです。」
とアドバイスされ迎え入れたのが、一昨日逝ったYでした。

我が家に来た時は元気が良すぎて疲れたなぁ~~(笑)。
走るか止まるかで、歩くってことがなかったので。
すでに5歳になってたから我が家の生活に馴染むかも心配したけど、最初から私たち夫婦に懐いてくれて嬉しかった。


さて。

Yがいなくなった喪失感を、
今回はどうやって、やり過ごすのか。。。

その子との関係や私の思い入れによって乗り越え方も違うのは過去のケースから経験済みです。

「前は3ヵ月くらいで気持ちが落ち着いたから、今回も3ヵ月辛抱すれば大丈夫」などと考えた時もありましたが、それは自分の感情に蓋をするだけ。溢れ出す感情を閉じ込めるだけ。だから3か月後には、閉じ込めていた感情が変に発酵(?)して複雑なことになってしまったのでと思います。
「3ヵ月経ったのに、全然気持ちが楽にならない!」と焦りました。
ペットロスを自覚したのはその頃でした。

タイトルには「乗り越えようとする」って書きましたが、喪失感は乗り越えようとしても乗り越えられない。どうしようもない。

でもやっぱりつらいから乗り越えたいと思うのであります。

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2017年1月20日金曜日

犬の死

昨日、我が家の犬Yが死にました。
病院で安楽死をさせました。

1週間ほど前から、痛みで夜中に鳴くという日が続いていました。
病院で薬を処方していただいても、効くのは最初の1~2回、効果は長くて7~8時間、短いと2時間くらい。
3種類の薬を量を調節しながら投薬しましたが、1週間で彼女がぐっすり眠れたのは、おそらく20時間もなかったと思います。

常に一緒にいたわけではないですが、私の仕事が自宅での自営業なので、すぐに薬飲ませたり、動物病院に相談できたのは不幸中の幸い。

薬を変えたり量を増やしたりしましたが、コンスタントな効果が見られませんでした。
薬を変えた最初はそこそこ効き「これで何とかうまくいけそう」とホッとしますが、2回目にはそうでもなく。。。

この先は麻薬系の薬を使うことになると先生から言われましたが、それはもう麻痺させるだけで、体が改善するわけじゃない。
腫瘍がどんどん大きくなって神経を圧迫して痛みが生じていると考えられ、また大きな腫瘍のせいで歩きにくく運動不足で体重が増え、足の負担も増しています。

食欲はまだありましたが、好みもだいぶ変わって、大好きなものでも食べなくなってきていました。
食欲が完全になくなるまでは死なせないつもりでしたが、食べ物も食べにくい、散歩もできない状態で、痛みをコントロールするだけが彼女の生活のほとんどになってしまうのは、私が耐えられませんでした。

5歳で我が家に来て、7年とちょっと。
その間、約3年は闘病生活でした。
でも外科手術して傷がうまくふさがれば生活は元通りだったので、普通に食べて走って寝て、という生活でした。

先月、病院から「手術や入院はYちゃんには相当なストレス。かわいそうだから、これ以上の手術はしない方がいい。成功する確率も下がっている」と告げられて、予定していた手術を取りやめてから、この先はもう長くないのは分かっていましたが、もう少し、2月末くらいまでは行けるか、いや1月いっぱいかと思ってたのですが、そこまでも持ちませんでした。



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2017年1月18日水曜日

家計簿に本来は記録すべきなのに記録していないこと

家計を把握するためには、すべての収入とすべての支出を記録しなければなりません。
しかし、敢えて記録していないことも、我が家の家計簿には存在します。
また記録はしているけれども、数字がテキトーというものもあります。

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収入について

夫(自営業、私とはまったく別経営)の収入の全体像を、私は知らされていません。
給与所得や株だか投資だかの収入など、どうなっているのか私にはわかりません。

私は自分の収入は夫に対しては神秘のままにしておきたいので、夫のも知らなくて良いと思っています。
しかし家計簿上、概算でも収支を把握したいので、夫の推定給料(以前に雑談で得た情報から推察)を家計簿には書いています。
ですので夫の収入については、家計簿に記入はしているけれども正確な数字ではない、ということになります。

※ 後でも書きますが、支出も厳密にはすべて記録しているわけではなく、また現金との整合性も確認していないので、最終的な収支結果はあくまでも「参考数値」ということになります。


支出について

これも夫についてはすべてを把握できません。
私が他の方のブログで知る限りでは、
「夫婦それぞれでポケットマネーの金額を設定、それを毎月家計費から受け取り、あとは各々がどう遣おうが貯蓄しようが自由」
というパターンが多いように見受けます。

が、我が家の場合、お互いに収入を神秘のままにしているのは、ポケットマネーを自由に遣いたいからというのが大部分なので、上記に書いたような他の家庭のやり方はそぐわないのでした。
我が家方式だとどうしても出費は増えがちですが、夫婦で納得しているので、一応問題なしとしています。

しかし夫のポケットマネーから出ている支出も、固定費のようなものは報告してもらっているものもあります。
税金、社会保険、携帯電話代、車にかかる費用(駐車場、ガソリン、修理など)、生命保険料、通院にかかる費用、などです。

逆に、例えば同窓会出席とか洋服を買ったなどの単発の出費は報告されませんが、私が勝手に概算で家計簿に記録しています。
こういうことをしているので、家計簿と現金を合わせるというのは諦めたのです。合わせようとしたらものすごく煩雑になるので。
その代わり、私が知り得る限りの出費(概算でも)はすべて記帳するようにしています。

一方、私のポケットマネーの支出ですが、これは基本的にすべて家計簿に載せています。
しかし唯一、記録していないものがあります。
それは「私の実家へ渡した現金」です。

何か品物を買ってあげたとか、私と両親で食事をしたというようなものは記録しますが、両親が温泉旅行に行くからカンパとか、通院回数が増えたからお見舞いで、といった具合で渡した現金は、記録しません。
その渡す現金は年間トータルにすると結構な金額(最低でも150万円超)になるかと思います。
夫は普段は家計簿に関心がありませんが、何かの時に見た時に、さすがにこの金額は心穏やかではいられないだろうなと思うので、家計簿には載せていません。
私自身、家計簿以外でも、実家へ渡した現金の記録はつけていません。つけたら最後、恐ろしくて実家に渡せなくなると思うからです。もしくはしぶしぶ渡す感じが態度に出てしまうと思うから。

ひとから見たら、なぜそこまでして実家に?と思われるかもしれません。
また実家も生活に困っているわけではありません(かといって潤沢な生活費があるわけでもない)ので、私なりの理由があるのですが、説明が難しいのと長くなるので、また別に機会に書ければと思います。

最低でも150万超のお金を家計簿につけないというのは問題だとは思います。
こんな出費をしておいて貯蓄がどれだけできているのかが気になったので、昨年から私の現金資産一覧表を作ったのでした。
この1年間で一応500万円は増えたので、実家への出費もよしとしましたが、できればこの出費は減らしたくもあります。

私が実家にこれだけ現金を渡して尚且つ貯蓄も増やせたのは、夫が生活費を充分に入れてくれるからであって、その感謝は決して忘れてはいけないと肝に銘じていますし、実家にも言ってはありますが、実家の人々は覚えてるのかなぁ。。。(-_-;)

2017年1月17日火曜日

連続タイヤパンク事件発生

きょう、車で移動していたら、どうも変な音がする。。。
音のする方向、左後輪のタイヤを見たら、ぺっちゃんこにつぶれてるではありませんか!!

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えーーー!?どこで~~~??
釘でも踏んだのかなぁ?

いずれにしろ修理しなきゃ。
きょうは夕方に出かけるから。(この時点で午後1時)

いつも車検や修理をお願いしている修理工場に電話したら、まずはスペアタイヤの交換作業に来てくれて、後日新しいタイヤを持ってきて取り付けてくれることになりました。

最初電話受付の人によると、
「きょうは技術者の人数が少なくて、しかも今、出払ってて、きょうすぐの修理は難しいと思います」
とのことだったので、夕方の外出には自転車かタクシーだなと諦めていたのですが、あらためて電話くださって「技術者が戻り次第、そちらに向かわせます」とのこと。

ありがたし!!!*\(^o^)/*

で、無事にスペアタイヤは履けたのですが、修理屋さんによると間違いなく故意によるパンクだとのこと。
千枚通しのようなもので一突きされている跡を見せていただきました。

まあ、ショックはショックなんですけど、自分の不注意でのパンクじゃないということでちょっとホッとしたりもして(^^;)。
私は過去に、これから遠出するという時に車止めのブロックでタイヤの側面をこすってしまいパンクさせたことがあったのです。(雨などでタイヤが濡れている時に側面をこするとパンクしやすいとのこと)
事実上の管理・運転者は私ですが、車の名義は夫なので説明責任もありますしね、一応。


その後ちょっと休憩。
外出の時間になったので外に出たところ、何だか騒がしい。。。

うちの車は月極駐車場に停めているのですが、その近くにトラックみたいなのとか(結果的にレッカー車)、小型の車とかバイクとか、、、いやいや、警察の人もいますよ。
で、うちの車の、道を挟んだお向かいの車を人が取り囲んでる!

「え?もしかして、そちらさんもパンク?」と思ったら、警察官の方から声を掛けられ、いろいろ話を聞いてみると、つまりはパンクの連続被害らしい。。。

お向かいさんの車もうちと同様、千枚通しで突かれているとのこと。
しかも日曜には少し離れた駐車場でも1台被害に遭っている、と。
…なんて話しているうちに、近くの別の車もスペアタイヤを履いてるから「これもそうですよね」という話になりました。これで少なくとも合計4台。

しかし他の車3台は、レクサス、ベンツ、クラウン、、、ですよ!
うちのは日産の中級クラスの車ですよ!!
「あれ?うちのってもしかして高級車だったの!?o(*゚▽゚*)o」
と、心のどこかで喜んでる自分、いい加減にせーよ!(-_-;)

とりあえず約束の時間があったのでその時は車ででかけ、小一時間後に戻ってから再度警察から事情を聞かれました。
被害届までは出さず、何というのか知りませんが「こういうことがありましたよ」という情報提供的な届け出にしました。

そういえばうちの車、1年ちょっと前にナンバープレート盗難未遂被害にも遭ってるんだよなー。
不動産屋さん(経由で大家さん)にお願いして、防犯カメラを付けてもらわにゃいかんかなぁ。
なんか、そういう交渉がめんどくさいのう。。。

まあ、何だか不運(?)な出来事ではありますが「やり場のない怒り」みたいなものを全然感じません。(^^;)
今の私は、痛みのコントロールがしにくい犬の世話と自分の体調のことでいっぱいいっぱいなせいでしょうか。。。
むしろ修理屋さんが素早く適切に対応してくれた(タイヤ交換もだけど、事件と分かった段階で、タイヤの証拠写真を撮っておいてくださいとお願いしたら快諾してくれた)のがありがたくて、ホッとしているのであります。

まあでも、被害対応は防止なり何なり、ちょいと考えた方が今後の精神衛生的にも良いかなぁ。
これまでも細い傷なども何回も付けられて来ても大げさにしなかったことで、犯人を調子づかせてしまったかもしれません。
私はこういうことをする人(犯人ですね)のことを「哀れな人」、「すさんだ心をしてて自分でもどうしようもないんだなー。お気の毒さま」と思ってるので、事故に繋がらないような小さな傷やプレートの変形は見逃してきたのです。
しかしタイヤは事故に直結します。うちは高速のインターにも近いので、このまま気づかずに高速に乗ったらと思うと、本当に怖いです。

もちろん全部の犯行が同じ犯人とは限りません。
別人だとしても、そういう輩たちはこちらの隙を察知してやっているので、「こっちも打つべき手は打つよ」という態度は見せておかねばなりませんかもねー。
…しかしめんどくさいのう。今の私にはそんな体力ないざんすよぉ~。(´・ω・`)

2017年1月12日木曜日

風邪をひいてから味覚が変化

風邪をひいてから、肉の脂に弱くなってしまって、豚肉や牛肉をまったく受け付けません。
そして、あまり好きではないお豆腐が食べたいなどいつもの私と明らかに違います!!( ゚Д゚)
なぜか焼きそばはスルスル入るのですが、豚肉はすべて夫のお皿に盛り、野菜と麺だけで大満足!
夫のためだけに肉を焼く時は、焼いている煙も吸い込みたくなくてマスクしてるのに息も止める始末(笑)。

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先日、自分の体調のご機嫌を伺いながら買物に行きました。
(動くとてきめんに熱と咳が出るので)
食べる物はあるのですが、もう豚肉と牛肉しかなく、鶏肉か魚が食べたくて。そして私には珍しくお豆腐も食べたくて!!

あと、どうしても欲しかったのが、鶏ガラ。
自分で鶏ガラスープを取り、それで雑炊やスープにして食べたい。
もっと具合が悪かった時、体力がなくて、でも温かいものを手っ取り早く食べようとして、インスタントのカップスープを飲んだのですが、熱で味覚が狂っているせいもあって、もう本当に体が受け付けません。それを飲んで、余計に鶏ガラを煮出して自分で作ったスープが飲みたくてたまらなくなりました。
あの滋味深き味は、顆粒の鶏ガラスープの素では到底味わえませんもの~~。


食欲は戻ってきたので、この際お金に糸目をつけず(笑)、薬代と思って食べたい物を買い込みました。
お正月に自分用に買って食べた鯛のお刺身もとても美味しく感じたので(もともとさほど好きでもない)、それも買いました。これはきょうのお昼に食べて、やっぱり美味しかったー。塩入のわさび酢醤油につけて食べるという、元気な時なら絶対に食べない味付けで!


果物は別に食べたい気はしなかったのですが、水分とビタミンCの補給になるかなと思って、みかんとイチゴを購入。
この果物が、たまたま当たり!だったのだと思います。すごーーく美味しい♪
イチゴも甘いだけでなく、しっかり味がします。イチゴも元々私は好きではなく、実は夫のために買ったので、ほとんどを夫にあげてしまいましたが、美味しく食べられたということで大満足!

何しろ、風邪をひいてから(早くも2週間近くになります)何かの味覚が感じなくなっているようで、食べていて塩辛かったり、一味も二味も足りないという風に感じるので、最近は心から「美味しい」と感じるものを食べていなかったのです。

こう書いていて気づきましたが、普段自分からは食べないものばかりを、今は食べたくなっているんだなーと。(除く焼きそば。焼きそばは普段から好き♪)
そう考えると何だかおもしろーーい! こういう自分も楽しんでみようという気になりました。
昨日の夜は、魚介の寄せ鍋と果物で、食べたい物を食べて元気出ました。

仕事のお客さんや出入りの業者さんから、「お大事に~」と声をかけていただけるのもありがたく、元気の源になっています。
ようやく、「回復するのかなぁ」という不安な気持ちよりも、「元気になりたい」という気持ちの方が大きくなってきました。

頂上到達まで、あともうちょっとって感じなので、楽しく美味しく食べて回復したいです!!

2017年1月11日水曜日

いろいろ諦めたら、気が楽になった(仕事も家事も)

年末に風邪ひいて(もしかしてインフルエンザ??初めての?)、きょう現在まだ完全復活とは言えない状態です。(´・ω・`)

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仕事も家事も年末までにやり残したことがあれば、新年早々にやらねばならないこともあって、気が休まりませんでした。
仕事の決算が12月末だし、家計簿も12月で締めて今年の予算を立てねば~~と焦るばかりです。

あと、今年の手帳の準備も完了していないので書き込みたいけど書き込めないページもあります。
私が使っている「主婦日記」(婦人之友社)は、細かい縛りがない分、自由がきいて気に入っているのですが、自分用に線を引いたりしてカスタマイズしなければなりません。
(もちろんそのまま使っている方もいらっしゃるのでしょうが)

その線を引くにも、いろんなアイディアが浮かんで決定しきれないまま新年になってしまいました!!基本は昨年と同じで良いですし、途中で変えたって良いので、気楽にやればいいのですが、「新年だから!線もきれいに引きたいし、字も丁寧に書きたいし!」と変に気負って、延ばし延ばしに。。。

一番気になっていたのは、「新年の志」。
きっちり書くようになったのは昨年からです。
仕事に関することと、プライベートに関することに分けて記入したのですが、これを毎月の始まりに見返すことで、自分の生活の優先順位をつけやすくなりました。

ここを早く書き上げて、新年をスタートさせたい気持ちが強かったのですが、昨日になって、
「こんな体調不良な時に書いても、前向きなことが書けなさそう」と思い(実際、頭に浮かぶのはネガティブなことばかりで、「そうならないように」という目標ばかりです)、ここはすっぱり諦めました。

あと、家計の予算立ても気になります。
昨年立てた予算はかなり念入りに検討しました。予算内は厳しいだろうと思いつつ1年やってみて、やはり予算はオーバーしましたが、自分なりの手ごたえを得ることはできました。
元々、今年はほぼ昨年に準じた予算で良いかなと考えていたので、やはりこの体調で無理してまで予算を立てるのは止めました。
(もちろん体調回復したらやりますけどね。1月中にできればヨシとします。(^^))

あ、その前に、昨年の家計の締めも完了してないんですが。
数字はまとまりましたが、大切なのはその数字を見て、感想をきちんと書くこと。それが後々とても役に立ちます。
「なぜこの費目が大きかったか」
「突発的なことがあったから」
「知らず知らずお財布の紐が緩んでいた」
「家電の修理でかさんだ」
など、数字の大きさもですが、自分がその時に決断した理由がとても大事です。
後になって、「そんなつまらない理由で出費したのかー( ゚Д゚)」とか、「うんうん、これは仕方ないよね(*´ω`*)」というのが、現在の生活ぶりや出費の方針を考える時に参考になります。もちろん自分(我が家)の出費のクセも見えますし。

そんなこんなで、やりたいことたくさんありますが、体力回復を最優先にして、復調するまでは目先のことだけに専念しようと思います。

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2017年1月3日火曜日

怒りまくりだった年末年始を振り返って

怒りが爆発してからちょうど1週間。
次回への戒めを込めて、振り返っておきます。

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年末年始、1年で最も心穏やかに過ごしたい(過ごさねばならない)時期に、怒りまくって高熱出して、お正月のご馳走の準備と片づけをするという役割を放棄しておきながら、それでも正直まだ怒りは燻っています。恥ずかしいことですけど。

私はお正月を見越して11月からとっくに動いていました。
今年の年末は仕事も頑張りたい。やればやるだけとまでは行かなくても、頑張れば売り上げが上がるのはわかっているから、お正月準備と仕事、どちらもうまくやりたいと思って。
例年はもう仕事の方は力半分でやってましたが、最近はお正月準備に慣れてきたし、11月から段取り組んで動いてきたから、仕事をセーブしなかったんですよね。

結果的にはそれがいけなかったとは思います。
やっぱりしんどかった。

「段取り8割」と自分に言い聞かせて準備を進め、「年末は決めたスケジュールに従って粛々とやれば、後はすっきりするのだから」と毎年何とか自分の気持ちに折り合いをつけているのに、いよいよ年末も押し迫った27日になって、ここまで何一つ準備していない義母と夫が自分が良い人だとアピールしたがために思い付きで、
「料理や飲み物はそんなに多くなくて良い。足りなきゃ、来る人間が持ってくるんだから。」
「義母や夫に恥かかせちゃいけないというニコの気持ちも分かるけど、毎年やり過ぎ。派手。」
「やることあったら、義母に頼めば良い」
とか言うので、我慢していた気持ちに火がついてしまいました。

「足りなきゃ、来る人間が買ってくればいい」って、元旦にどこで買うの?
まず義母宅に来て、料理見て「足りない」って思って、そこからどこへ買い出しに行くの?
元旦からやってるスーパーはあるけど、そんなこと義母にも私にも失礼だと思って、普通の人はできなくないですか?
私のことをやり過ぎというけど、夫が決定している(手配は私)お年賀やお年玉も、他の親族に比べたら相当高額ですよ。
「義母にやれって言え」って冗談めかして言うのは、私ができないことを見越して言ってるんだから、タチが悪いよね。

数年前、まだ私が請け負い始めた頃、「祝箸は、昨年お義母さんに用意してもらったんですけど、今回もお任せして良いですかね?」って聞いたら、「それもニコさんが用意してくれていいわよ」との返事。
最初の頃は、食べ物とか飲み物とか、抜けがあるといけないと思ってリストを作って見てもらったら、「お任せします」との返事。

もしも労力を出す気があれば、例えば「生もの以外は買っておくわ」とか「これとこれはあります」とか、教えてくれても良いんじゃないの? 私の甘えか!?
オトナでもアルコールの飲まない人数が多いので熱いお茶は必須なのだけど、「茶葉はある」という打ち返しもないので、「まさか茶葉まで切らしてんの?」と思って買ったのだけど、結局当日には「お茶はあるわよー」と。
つまりね、もうお正月のことなんて考えたくないんですよ、義母は。
昔の嫁の時代の不愉快なことを思い出すから。
私の準備で不満があっても、お任せでやってもらった方が良いんですよ、あの人は。


まあしかし!!!
そういう私の見方は、私からの一方的な見方でしかない。。。

茶筒のような物体があって、真上から見た人は「丸い」と言うし、真横から見た人は「四角い」と言う。どちらも正しいと言えば正しい。間違ってない。

私が茶筒の全体像を分かってるとは自分でも到底思えない。それも分かっている。


またちょっと別な観点で考えてみる。
義母は、嫁である私に「良い意味で」甘えているのである。

今の義母には、甘える相手があまりいないのだ、たぶん。
徒歩圏内に住む娘(私にとっては義妹)は、お勝手仕事が苦手なので(義母宅に入り浸っている彼女が料理している姿どころか、洗い物やごみをまとめるとか、雑用をやってるのを見たことない)、お正月のことなんて義母も全然期待できない。
いつも実家に入り浸って母親を家来のようにこき使っている義妹とはいえ、一応結婚して外に出た人間なのだから、私自身、そこまで期待してないし。
(でも人が集まる前に、私が用意したお茶菓子の中から自分の好きなものを選び出して隠してしまうことまで容認する気はないけど)

だから
「いいですよー、やりますよー、オッケーオッケー♪」
と笑顔でやってくれる嫁は、安心できる存在だと思っているに違いない。

年末の記事にも書いた通り、「同居してるわけでなく、年に1回のことなのだから、まあ良いだろう」と持っているのは私だけでなく、きっと義母もそうなのだ。「甘えちゃっても良いよね」と、自分で自分に許してると思う。
私もそれで良いと思う。

ただ!!
そっから先がめんどくさい!!!

夫と私に気を遣っているということをアピールしようとして出た言葉が、
「そんなことやんなくて良いのよ」
「こんなもの、みんな食べないわよ」
「みんな良い人だから、手伝ってくれるわよ」
って、、、全部全然違いますからーーーー!!

それを、はいはいって聞くこと、もう何回もその繰り返しで疲れた。

まあね、これが永遠に続くわけじゃない。
後10回もお正月をやり過ごせば、別な形に変化もしてるだろう。


結局、今回風邪を引いた私に代わって大みそかにお刺身類を買い出しに行ったのは夫で、元旦に寿司飯作ったのも夫で、その他いろいろやったらしいから、次回以降も私がいないものとして、夫主導でやることにしようと思う。
私は何年も前に最初に義母に頼まれた煮物を作ることだけ自分に課して、あとの段取りは夫に全権任せることにしよう。

それから次回からは、食べたいものをさっさと食べたら(食べる速さには自信あり!(*´з`))、短時間でも途中で席を外して、一人で散歩でもしてこよう。
30人もいるんだから、私一人が居なくても「トイレかな?」くらいで何とも思わないだろう。
お皿洗いとか片付けも、率先してはやらない。誰がやるのか観察してみよう♪

義母みたいに、いちいち何かやるのにため息ついたり、「はいはいやりますよ」的な態度をするのが嫌だから、バタバタしているのを周囲に感じさせないように、お茶用のお湯を沸かしておくとか(義母宅のコンロが異常に時間かかるんだよぉ~)、見えないところでゴミをまとめたりとかやってたけど、もうそこまでやりませーーーん!!
そんな時間あったら、外に散歩に出ることにします。

あと、最後のお客さんが帰って、全部片付けるまでやってたけど、それも適当にしてさっさ帰るわ。
だって最後まで残るのって義妹家族で、自分たちが食べた物さえ流しに下げないんだもん。座ってた席から立ちあがって、「じゃ帰るわ」って上着来て、余った料理やお菓子を物色して帰る。子どもたちがぶちまけたおもちゃも、当然かたづけない。
義母も「子どもたちがもう眠たがっているから、帰りなさい」って送り出すんだから、義母が片付ければ良いんだよね。そこまでこっちがやる必要ない。

これまでは私も「お義母さん、大変だなぁ。こんなこと毎日のようにやらさせてるんなら、お正月くらい手伝うわ」と思ってたけど、義母は好きでやってるんだから、私が手伝う必要なし!!

お正月に不機嫌な顔を見せたり不満をぶちまけて、「ニコさんのせいでお正月が台無しになった」と相手に言わせて(思わせて)貸しを作るくらいなら、途中で席を外して気分転換したり、気づかないふりして中途半端な片付けで帰って来てしまった方が、結果的に大正解だ。

とにかく、私の場合、ドライになること!!
それが大事だと思う。
「普段同居してるわけじゃないから」
「1年に1回だから」
「波風立てることないから」
と自分に言い聞かせてたけど、私が自分に言い聞かせるのは、今後はそうじゃない。

「接待したがってるのは、義母だから」
「接待する相手は、全員義母の親族だから」
「義母の子どもである、夫と義妹が率先してやればいいことだから」
「私はお手伝いだから」
「自分の仕事を犠牲にしてまで、もうやらない」

こんなところか??

まあ夫にとっても、年末に私にさんざん罵倒された挙句、大みそかと元旦は急遽私の肩代わりをしなくてはならなくなり、2日の朝は私の体を気遣って「体調どう?」って尋ねたのに、起き抜けの私から「ムカムカが止まらない。体のじゃないよ、気持ちのムカムカだよ」と、また口撃を受けるという(笑)、かわいそうな年末年始だったと思う。心身が弱ってるところに、私の風邪をもらって、現在ダウン中だし。

私は、大みそかと元旦に爆睡したおかげで、2日の夜から微熱にまで下がり、それと同時にだいぶ気持ちもクールダウンした。(これでも)
やっぱり風邪ひかなくて元旦に義母宅に行ってたら、嫌味の一つも言ってたと思う。
お正月早々感じの悪いこと言ったら、義母や義妹と同じ穴のムジナになってしまう。行くなら最後まで演技すること!仕事と思って!
それは肝に銘じよう!!

2017年1月2日月曜日

夫にブチ切れた勢いで高熱、元旦は義実家へ行かずに済んだ

前回の記事「お正月の準備のことで夫にブチ切れた」には、
「ここで私が拗ねて元旦に顔を出さないということをしたら(その時の理由は病欠にしますが)、」と書きましたが、まさか本当に欠席することになろうとは思ってませんでした。

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前回の記事を書いている最中に義母から電話の着信があり(しかも家と携帯の両方に。そんなこと過去にはありませんでした)、でもその時の私の精神状態では電話に出て、冷静に義母と話せる自信がなかったので、出ませんでした。

翌朝、気を取り直してこちらから電話をして義母と話しました。
前日に義母が電話してきた用件というのは、「この年末は孫の面倒見なくていいから、私もできることはやるから言ってぇ~」というものでした。
(その前に、私からの文句を聞かされた夫が義母にも何かやって欲しいことを言ったらしい)

どこまで伝わったかわかりませんが、私は、
「Jさん(私の夫)だって、私の親にああしてくれこうしてくれてくれって言えないくせに、私にはお義母さんにやって欲しいことを言えって言うんですよねーーー。」
とは言ってみました。
やりたくない人を相手に、気を遣いながらor謝りながらやってくださいなんて言うくらいなら、自分でやっちゃった方が楽だし、義妹に至っては、もう本当に私のお願いなんて完全に「無視」でしたからね。

とにかく、他人が聞けばうまくいってる嫁と姑の会話をして電話は切りました。
「ここはやるしかないんだから、それなら気持ち良くやった方が、自分自身のためだから」と納得し、持ち込むお料理の準備を大急ぎで始めたのでした。

それが30日の朝のこと。
で、その日の夕方、咳が時々出たのですが、あまり気に留めずにいました。角煮の豚を3キロ分焼いていたので、その煙で咳き込んだのだとばかり思ってたからです。

しかしそれから2~3時間経っても、断続的な咳が止まりません。
気づくと、喉も痛い。。。

え?…もしかして風邪……!?

前年は12/25にぎっくり腰になり、何とかごまかして年末年始を乗り越えたので、今回も腰痛持ちの私は腰のことばかり気にして、ストレッチしたり腰を冷やさないようにはしていたのですが、まさかの風邪!?

31日の朝には完全に体中がだるく、風邪に間違いないこと決定。
こんな日にやってる病院もないだろうけど、救急外来に行って体力消耗するくらいなら休んでた方が身体のためには良い。元旦に復調するために、もうあらゆる準備を中断して休みました。
この時点で、煮物はできてるから、最低限の準備をしたということで。

しかし時すでに遅し。。。元旦の朝にも咳とだるさがさらにひどくなっています。
熱は測りませんでした。あるに決まってるから。その熱を見たら、病人であることが決定してしまうから。

夫はもう31日の段階で、「明日は行かなくて良い」と言っていましたが、私はまだそこまで決断できませんでした。
でも元旦の朝、咳が止まらず、
「(マスクや手袋したとしても)こんな咳き込んでる人が切ったお刺身やら何やらを、来た人は食べたくないよなー」と思い、そこではっきりと諦めがつきました。

朝、夫が義母に電話し事情説明、ちゃんと風邪であることを証明(?)するために、私も電話口で風邪声を義母に聞いてもらいました(笑)。


正直なところ、すごく肩の荷が下りました。

神様か仏様かご先祖様か分からないどなたかが、
「このままニコを行かせたら、爆発とまではいかなくても、きっと嫌味の一言でも、義母や義妹に言うだろう。そんなことになったら、このお正月は誰にとっても良いことにならない。」
と、とどまらせてくれたのだと思うことにしました。

私もう、何年も風邪なんてひいたことないですもん。インフルエンザも。

で、元旦は、大量の荷物(食材や飲み物や炊飯器などなど)とともに夫を送り出して、布団で爆睡。午後に置きだして、だいぶ体が楽になったので、ここで初めて熱を測ってみました。
微熱かと思いきや、なんと39度。

えーーーっと、何かの間違いだね?こんな体温になったことないもんね?と再度計るも39度。


1人で頑張り過ぎて、1人でテンパって、この結果。
でも本当に、私にとっては恵みの雨ならぬ、恵みの熱でした。