2017年1月21日土曜日

ペットの死を乗り越えようとする日々

これまでも、私は何匹かの犬猫の死を経験しましたが、乗り越え方は毎回違うのでした。

私にとっては同姓の先輩のような、あるいはお姉さんのような存在だった猫「O」が死んだ時、毎日毎日本当に辛くて、暗い夜道を歩いている時など、たまらなくなって彼女の名前を叫びたくなりました。

ただただ耐えるだけの日々を過ごしていて、ある時、夏の晴れた空を何の気なしに見上げた時、
「あーー、きれいな空、この空の上にあの子はいる。もう苦しんでないんだー」
と思ったら、すこーし気が楽になり、それをきっかけに徐々に、本当に少しずつですが辛さが薄まりました。(もちろん揺り戻しはありますが)

別なオス猫「K」は、最期を看取ることができませんでした。
闘病中でしたが、ちょうど元気を回復してきて目もキラキラしていたので、安心してちょっと長めの買い物に出かけて帰宅したら、もう息を引き取っていました。

玄関開けて、何となく嫌な予感がした感じ、他にも猫はいたけど妙に静かな感じは今でもはっきりと覚えています。
素直でどんくさい、でも甘えん坊のKを看取れなかった。1人で旅立たせてしまった後悔と寂しさで、しばらくは気持ちがすさみました。
この子の時はどうやって乗り越えたかも思い出せないので、「時間薬」の力だったのだと思います。

先代の犬の「S」も保護犬で、愛護協会からもらって来ました。
他の犬と雷と車に乗るのが大嫌いで、飢えていた期間が長かったせいか食べ物には貪欲でよく拾い食いをして困りました。しかしそんな彼女の来し方を想像して切なくもありました。
ちょうど私が自営業を始めて仕事が軌道に乗るのか心細かった時、仕事場の隣にいたのがSで、予想に反して番犬の役割も果たしてくれたりして、頼もしい存在でした。

やはり癌でしたが、私が「ここを乗り越えれば大丈夫なはず…」と思い込み過ぎて(獣医さんのせいにするわけでもありませんが、打つ手なしの宣告もしてはくれず)、苦しい思いをさせてしまいました。
「あ、これはもうダメなんだ」と気づいたのは、呼吸が止まる数時間前でした。
それがSには本当に申し訳なかったです。

ずっとそばにいたSが居なくなってしまった喪失感は想像以上にきつかったです。
まさか自分がペットロスになるなんて思ってもみませんでした。
日々の生活の中で突然涙が出るというのに加えて、死んで3か月後くらいに、心臓がバクバクすることが起きるようになりました。

Sが死んでしまったことは完全に受け入れているし、生き返って欲しいとも思わない(あんなに苦しい思いをさせたくない)。でもこの「寂しい」という気持ちはどうしようもない。
行き場のない寂しい気持ちを抱えきれずにいました。

ある時、新聞のコラムに田辺聖子のインタビュー記事か何かが載っていて、
「寂しさは、なくなりはしないけど、薄れはする」
と。
(厳密な表現は違ったかもしれません。)

ああ、そうかーーー。
この寂しさはなくなることはないんだ。
でもいつかは薄れる。
だから、日々をただ過ごしていけばいいんだ。
…と、少し気が楽になりました。

寂しいという自分の気持ちをなくそうとするから、逆に苦しい。
そもそもなくならないのだと受け入れれば、その方が気持ちは落ち着きました。

しかし私のペットロスの症状は治まらず、獣医師に話したら、
「そういう人ほど、次の子(犬)を迎えた方が良いんですよ。前の子に遠慮することはないんです。」
とアドバイスされ迎え入れたのが、一昨日逝ったYでした。

我が家に来た時は元気が良すぎて疲れたなぁ~~(笑)。
走るか止まるかで、歩くってことがなかったので。
すでに5歳になってたから我が家の生活に馴染むかも心配したけど、最初から私たち夫婦に懐いてくれて嬉しかった。


さて。

Yがいなくなった喪失感を、
今回はどうやって、やり過ごすのか。。。

その子との関係や私の思い入れによって乗り越え方も違うのは過去のケースから経験済みです。

「前は3ヵ月くらいで気持ちが落ち着いたから、今回も3ヵ月辛抱すれば大丈夫」などと考えた時もありましたが、それは自分の感情に蓋をするだけ。溢れ出す感情を閉じ込めるだけ。だから3か月後には、閉じ込めていた感情が変に発酵(?)して複雑なことになってしまったのでと思います。
「3ヵ月経ったのに、全然気持ちが楽にならない!」と焦りました。
ペットロスを自覚したのはその頃でした。

タイトルには「乗り越えようとする」って書きましたが、喪失感は乗り越えようとしても乗り越えられない。どうしようもない。

でもやっぱりつらいから乗り越えたいと思うのであります。

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