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2017年1月24日火曜日

亡き犬へのお供えはお水だけ

死んだ犬のことばかりですみません。
でもまあ、ブログってやつは見に来たい人が見てくださるものだと思うので、誹謗中傷でなければ何を書いても良いのだろうなと勝手に考えて、書いております。


犬のYを見送って、まだ1週間足らず。

このブログにもメソメソしたことを書きましたが、今のところ、想像していたよりも大丈夫な感じです。
他の犬や猫の時の方が、精神的にもっとしんどいこともありました。

今回のYは、「最終的には(=痛みの緩和ができなくなる時)安楽死することになるだろう」と獣医師から言われていて、この先がそう長くないことは理解していたこと。
手術を6回もし、7回目の手術は先生から断られ、いよいよYの人生(犬生)の最期が近づいていること。
先代の犬Sは、最期の数か月苦しい生活を送らせてしまった反省と後悔。

・・・そんなことが事前に自分の中で考える時間があったので、心づもりもだいぶできていたのは大きいと思います。


でも、お花を供えるのは嫌なのです。
これは先代のSの時にすごくしんどかったことなのですが、普段、犬とお花って全然関係ないのです。
すごく違和感あるのと同時に、お花のお水を変えたりする時に、「死んだんだ」ということを突き付けられて、ものすごく心が揺さぶられました。
それから死んだ犬と重なるのか、お花が枯れていくのを見るのもつらかったです。

ということで、Yにはコップに注いだお水だけ。お骨の前にお供えしてあります。
実はこれは夫がやってくれました。私はそれすらやりたくない気持ちでした。(お花を供えたくない理由と同じで)
だから、好物だったものをお供えすることも嫌なのです。

ひどい飼い主かもしれないけど、今はとてもそんな気になれないのです。

フツーの生活を送りたい。
その中で、もうYがいないことを少しずつ認めていかざるを得ない。
そんな慣らし運転な日々を送ろうと思います。


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2017年1月21日土曜日

何もしたくない、引きこもりたい

気づくとボーーーっとしている。

別にYのことを考えている意識もない。

確かに疲れは溜まってるんだと思う。
11月頃から体力気力を使うことが多かった。
仕事も親のことも頑張りたいと思った。
でも、思うほどには何もできなかったとも思う。

風邪をひいて、今も回復し切れなくて体力が落ちてるのは間違いないけど、何もできないほどじゃない。


食事を作りたくない。
なんで?

作りたいもの、食べたいものが思い浮かばない。
でもお腹は空く。
なんで?

ただ怠けてるだけ?


こんな時は、夫が厳しい人だったらなぁと思う。
「飯ぐらい作れよ!」とか、
「犬が死んだくらいでダラダラするな!」とか
言う人だったら、私ももうちょっとシャキッとするんじゃない???

いや、そんなこと言われたらきっと、
「自分こそ、たまにはご飯作りなさいよ!」から始まって100倍返ししてるよね(笑)。



ただただボーーーっとして、お布団かぶって眠りたい。
今思うのはそれだけ。

夕べもメソメソしながらお布団に入って、これじゃ鼻が詰まって眠れないと思ったのに、あっという間に眠り込んでいた(と思う。)

でもほんと、そんなに悲しい気持ちはないんだよ。

なのに、涙が出たりボーっとしちゃうのはなんで???

なんでなんでなんで???

もう本当に嫌だ。


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ペットの死を乗り越えようとする日々

これまでも、私は何匹かの犬猫の死を経験しましたが、乗り越え方は毎回違うのでした。

私にとっては同姓の先輩のような、あるいはお姉さんのような存在だった猫「O」が死んだ時、毎日毎日本当に辛くて、暗い夜道を歩いている時など、たまらなくなって彼女の名前を叫びたくなりました。

ただただ耐えるだけの日々を過ごしていて、ある時、夏の晴れた空を何の気なしに見上げた時、
「あーー、きれいな空、この空の上にあの子はいる。もう苦しんでないんだー」
と思ったら、すこーし気が楽になり、それをきっかけに徐々に、本当に少しずつですが辛さが薄まりました。(もちろん揺り戻しはありますが)

別なオス猫「K」は、最期を看取ることができませんでした。
闘病中でしたが、ちょうど元気を回復してきて目もキラキラしていたので、安心してちょっと長めの買い物に出かけて帰宅したら、もう息を引き取っていました。

玄関開けて、何となく嫌な予感がした感じ、他にも猫はいたけど妙に静かな感じは今でもはっきりと覚えています。
素直でどんくさい、でも甘えん坊のKを看取れなかった。1人で旅立たせてしまった後悔と寂しさで、しばらくは気持ちがすさみました。
この子の時はどうやって乗り越えたかも思い出せないので、「時間薬」の力だったのだと思います。

先代の犬の「S」も保護犬で、愛護協会からもらって来ました。
他の犬と雷と車に乗るのが大嫌いで、飢えていた期間が長かったせいか食べ物には貪欲でよく拾い食いをして困りました。しかしそんな彼女の来し方を想像して切なくもありました。
ちょうど私が自営業を始めて仕事が軌道に乗るのか心細かった時、仕事場の隣にいたのがSで、予想に反して番犬の役割も果たしてくれたりして、頼もしい存在でした。

やはり癌でしたが、私が「ここを乗り越えれば大丈夫なはず…」と思い込み過ぎて(獣医さんのせいにするわけでもありませんが、打つ手なしの宣告もしてはくれず)、苦しい思いをさせてしまいました。
「あ、これはもうダメなんだ」と気づいたのは、呼吸が止まる数時間前でした。
それがSには本当に申し訳なかったです。

ずっとそばにいたSが居なくなってしまった喪失感は想像以上にきつかったです。
まさか自分がペットロスになるなんて思ってもみませんでした。
日々の生活の中で突然涙が出るというのに加えて、死んで3か月後くらいに、心臓がバクバクすることが起きるようになりました。

Sが死んでしまったことは完全に受け入れているし、生き返って欲しいとも思わない(あんなに苦しい思いをさせたくない)。でもこの「寂しい」という気持ちはどうしようもない。
行き場のない寂しい気持ちを抱えきれずにいました。

ある時、新聞のコラムに田辺聖子のインタビュー記事か何かが載っていて、
「寂しさは、なくなりはしないけど、薄れはする」
と。
(厳密な表現は違ったかもしれません。)

ああ、そうかーーー。
この寂しさはなくなることはないんだ。
でもいつかは薄れる。
だから、日々をただ過ごしていけばいいんだ。
…と、少し気が楽になりました。

寂しいという自分の気持ちをなくそうとするから、逆に苦しい。
そもそもなくならないのだと受け入れれば、その方が気持ちは落ち着きました。

しかし私のペットロスの症状は治まらず、獣医師に話したら、
「そういう人ほど、次の子(犬)を迎えた方が良いんですよ。前の子に遠慮することはないんです。」
とアドバイスされ迎え入れたのが、一昨日逝ったYでした。

我が家に来た時は元気が良すぎて疲れたなぁ~~(笑)。
走るか止まるかで、歩くってことがなかったので。
すでに5歳になってたから我が家の生活に馴染むかも心配したけど、最初から私たち夫婦に懐いてくれて嬉しかった。


さて。

Yがいなくなった喪失感を、
今回はどうやって、やり過ごすのか。。。

その子との関係や私の思い入れによって乗り越え方も違うのは過去のケースから経験済みです。

「前は3ヵ月くらいで気持ちが落ち着いたから、今回も3ヵ月辛抱すれば大丈夫」などと考えた時もありましたが、それは自分の感情に蓋をするだけ。溢れ出す感情を閉じ込めるだけ。だから3か月後には、閉じ込めていた感情が変に発酵(?)して複雑なことになってしまったのでと思います。
「3ヵ月経ったのに、全然気持ちが楽にならない!」と焦りました。
ペットロスを自覚したのはその頃でした。

タイトルには「乗り越えようとする」って書きましたが、喪失感は乗り越えようとしても乗り越えられない。どうしようもない。

でもやっぱりつらいから乗り越えたいと思うのであります。

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2017年1月20日金曜日

犬の死

昨日、我が家の犬Yが死にました。
病院で安楽死をさせました。

1週間ほど前から、痛みで夜中に鳴くという日が続いていました。
病院で薬を処方していただいても、効くのは最初の1~2回、効果は長くて7~8時間、短いと2時間くらい。
3種類の薬を量を調節しながら投薬しましたが、1週間で彼女がぐっすり眠れたのは、おそらく20時間もなかったと思います。

常に一緒にいたわけではないですが、私の仕事が自宅での自営業なので、すぐに薬飲ませたり、動物病院に相談できたのは不幸中の幸い。

薬を変えたり量を増やしたりしましたが、コンスタントな効果が見られませんでした。
薬を変えた最初はそこそこ効き「これで何とかうまくいけそう」とホッとしますが、2回目にはそうでもなく。。。

この先は麻薬系の薬を使うことになると先生から言われましたが、それはもう麻痺させるだけで、体が改善するわけじゃない。
腫瘍がどんどん大きくなって神経を圧迫して痛みが生じていると考えられ、また大きな腫瘍のせいで歩きにくく運動不足で体重が増え、足の負担も増しています。

食欲はまだありましたが、好みもだいぶ変わって、大好きなものでも食べなくなってきていました。
食欲が完全になくなるまでは死なせないつもりでしたが、食べ物も食べにくい、散歩もできない状態で、痛みをコントロールするだけが彼女の生活のほとんどになってしまうのは、私が耐えられませんでした。

5歳で我が家に来て、7年とちょっと。
その間、約3年は闘病生活でした。
でも外科手術して傷がうまくふさがれば生活は元通りだったので、普通に食べて走って寝て、という生活でした。

先月、病院から「手術や入院はYちゃんには相当なストレス。かわいそうだから、これ以上の手術はしない方がいい。成功する確率も下がっている」と告げられて、予定していた手術を取りやめてから、この先はもう長くないのは分かっていましたが、もう少し、2月末くらいまでは行けるか、いや1月いっぱいかと思ってたのですが、そこまでも持ちませんでした。



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2016年12月15日木曜日

病院でキャピキャピ騒ぐのはやめて欲しい

病院で、、、と言っても動物病院ですが。

きょうは犬の手術のつもりで行ったのですが(もちろん事前に予約済み)、犬の患部の状態から、「今回は手術しても、今までのようにはうまく行かないかもしれない」という内容のことを、先生から告げられました。

手術を繰り返すか、どこかで諦めるか、、、ここ半年は本当に悩みに悩み、その上で今回は手術をするつもりで病院に行ったので、先生の予想外のお話に頭がグルグルしました。

どれくらいの時間かよく覚えていませんが、おそらく15分~30分くらいかけて丁寧にお話ししてくださいましたし、私の質問にも答えていただきました。

しかし、手術を決行するか、もう止めるかの判断はその場ですぐには私にはできず、しばらく考える時間をいただくことにしました。外に出て夫と妹に電話しましたが、夫は接客中、妹は知り合いの葬儀のお手伝いの真っ最中で、話ができる状態ではありませんでした。
待合室に戻り、グルグルする頭で一人で考えました。

その時、すぐ近くにいる数人の人たちが、楽しそうに犬猫の話をしています。
どうやら、1匹のペットに飼い主さんの家族が4人~5人で来院しているようで、さらに別な飼い主さん家族とキャピキャピ喋っています。

人間の病院でもそうですが、見た目は普通に元気そうでも、自分や家族の体のことで深刻な悩みを抱えている人がいる可能性の高い場所が、病院です。
「笑うな」とは思いませんが、はしゃぐような言動は慎んで欲しい。自分(や家族やペット)は完治して、もしくは完治の見込みがあって喜ばしいかもしれませんが、そうではない人がすぐ隣にいるという想像力を持って欲しい。

ペットを病院に連れて行く時、どんなに気楽な症状であっても、また夫や妹と一緒でも、他に人がいる場合は私は待合室ではあからさまに楽しい話題はせず、黙って順番を待ちます。

きょうは、今ここでの私の判断が犬の寿命を大きく左右するかもしれないという不安を抱えながら、待合室で他の方のかん高い声を耳にするのは苦痛でした。

今までに犬や猫を何匹も飼ってきましたが、病院通いが嫌な理由は、本当に無神経な飼い主さんたちの存在だと、きょうあらためて感じました。

騒々しい人々のせいではありませんが、うちの犬の件は、考えて数日以内にお返事するということで、きょうは病院を後にしました。


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2016年12月13日火曜日

自営業の良さ(の一つ)は、働く時間を自分で決定できること

きょうは仕事の日ですが、先ほどちょっとお店を閉めて、ペットサロンとスーパーへ行って来ました。
ペットサロンは犬のシャンプーに預けに行き、スーパーは、包丁などの刃物研ぎとまな板削りをお願いしてきました。

犬のシャンプーは、明後日の再手術に備えてきれいにしとこうかと。別に手術の病院には何も言われませんが、汚れモードでみすぼらしいと、手術に預けるこちらの気分がかなり沈んでしまうのです。犬はあまりゴチャゴチャと余計なことをされずに、少しでも家でのんびりしている方が良いのでしょうが、ここは飼い主の私の自己満足につき合ってもらいます。。

刃物研ぎとまな板削りは、年末のお料理作りの備えて。
2年位前に見つけた金物屋さんは、スーパーの駐車場の片隅に月に1回やって来る出張サービスで、私の休みと重なることがなかなかないので、きょうは意を決して行って来ました。
包丁の切れ味が蘇るので、お料理がとってもとっても楽しくなります。しかも今回は、鰹節削りのカンナもお願いしてきました。
ずっと、 砥ぎを任せられる金物屋さんが見つからず、切れないまま数年ほったらかしでした。その間、昔のかき氷を作る機械みたいな鰹節削り器を使っていました。カンナが戻ってくるのが楽しみです♪

そんなわけできょうは、再度開ける時間を張り紙して、途中で自分のお店は1時間ほど閉めたのでした。この後、閉店後にまたペットサロンとスーパーに行って、犬と刃物を引き取ってきます。


もちろん、この閉めていた間にいらしたお客様には本当に申し訳ないのですが、いざとなったらこの辺の自由が効くのが自営業の良さだと思います。
こんなことを繰り返していたら、当然業績にも関わりますので、「たぶんそんなにお客様はないだろう」と思われる日や時間帯を選びます。
また常連のお客様の中には、私が一人でやっていることをご存じで、事前に電話で確認してくださる方もいらっしゃいます。お手間をおかけして本当に申し訳なくはあるのですが。。。
(この後いらっしゃるお客様には、閉店時にいらして無駄足になってしまったを伺い、そうだったら、お詫びとして粗品を差し上げたり、値引きをしたりしています。)

以前の会社勤めでは予定外に休む時は、本当に体が動かない時か葬儀関係だけでした。
会社は忙しいことこの上なくてみんな残業続き、有給休暇も毎年余っていました。そんな中で簡単には休みたいとは言えない雰囲気でした。実際、仕事も多くて、休みあけの仕事のたまり具合を想像して休みたくなくなってしまいました。


犬の手術も明後日で7回目になりますが、会社勤めであれば、これも叶わなかったことでしょう。
私が過去に勤務した会社では、半休とはいえ、ペットのことで年に数回休むというのは許されないと思います。
もしも休みたいなら、自分の通院ということにしなければならないでしょうし、であれば、今度はどこが悪いのか?どこの病院に行くのか?という話(世間話でも)にならざるを得ず、弁明に四苦八苦しそうです。
実際、祖母が倒れて意識不明になり、急きょお休みをいただいて遠方まで行くことになった時でも、指導員の先輩には嫌な顔をされました。気にしなければ良いのでしょうが、そんな時までペコペコ謝って休みを取らねばならない宮仕えは、私には耐えがたかったです。

会社勤めの知人からは、自営業(というか私の仕事)は、お昼休みがないとか、自分の失敗を全部自分一人で背負わねばならない重圧とか、日中も一人で寂しそうとか、言われるのですが、そちらの方が私にはずっとずっと気楽です。満員電車の通勤もしなくて良いですし。

自営業と会社勤め、どちらが良いかは、その人の性格や目指すものによって異なります。
しかし、仕事の時間を100%自分の意思で決められるのは、私にとってはものすごい自由に思えます。
(でも、同じく自営業者の夫は、『自営業は休めない』って言ってますけどねー。自分が好きで仕事をしてるんでしょ、と私は思ってますが。。。(^^;))


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2016年11月17日木曜日

安楽死、やっぱり、決断できない

我が家の犬の病気や安楽死について、以前書きました。

飼い犬の最期が近づいている

でもやっぱり、安楽死は、まだ、できません。

きょう、いつも手術をお願いしている病院に電話して、腫瘍の除去手術の予約を取りました。


いろいろとここに書きたいこともありますが、
自分の気持ちが整理できず、きちんと書ききれません。

理性と感情がしっかり整頓されていないのだと思います。


先代の犬は、結果的に安楽死させるべきだったのに、私は馬鹿みたいに、「これさえ乗り越えれば、、、」と良くなることしか考えていませんでした。
最期まで苦しませてしまった。その後悔があるので、今の犬には、苦しませずに死なせてやりたいという気持ちも強すぎるのだと思います。

でも、コブのような腫瘍のせいで、歩きにくかったりするだけで、手術で取ってしまえば、1週間後にはほぼ元通りの生活。
何の特技もなく、ただ食べて、散歩して、私の仕事場の側でいびきをかきながら寝ているだけ。
でも、もう少し生きていて欲しい。そこにいてくれるだけでいいから。



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2016年10月5日水曜日

飼い犬の最期が近づいている

我が家の犬は、2年ほど前から数か月ごとに手術を繰り返しています。
良性腫瘍が短期間に大きくなって、生活に支障が出るからです。手術で腫瘍部分を取り除き、術後の養生を経れば、ほぼ元通りの生活です。

しかしここ2~3か月は、調子が良くない様子が見られるようになりました。
ごくたまにですが、どこかが痛むように突然「キャン!」と鳴いたり、びっこをひいたり、夜でも熟睡せずに起き上がったり、、、とにかくどこかが不調なのです。


腫瘍の手術をしてくださった病院(A病院とします)の先生方にはもちろん、その他の病院にも何件か、セカンドオピニオンでお話を伺ったりしました。

で、一番最後に行った病院(B病院とします)の先生の説明に納得がいきました。
丁寧に私の疑問に答えてくださった先生のお話を要約すると、

「  何度も手術をして来られて、この腫瘍の再発を防ぐことはできないと、飼い主さんも理解されていると思います。この腫瘍はそういう種類のものです。
除去手術が不可能な場所に腫瘍が広がりつつあり、今後も手術を繰り返しても、寿命が多少延びることはありますが、そう大きくは変わりません。何もしなければ余命半年、手術をして1年になるかならないか、というところでしょう。

であれば、入院・手術・抜糸、そして術後の体力回復を待つという、犬にとってはストレスかつ大きな負担を繰り返すよりは、検査や手術はせずに、好きなことをさせてあげることをお勧めします。
生活の質が著しく低下した場合は、安楽死も考えられた方が良いと思います。

現在見られる何らかの痛みは、この腫瘍とは関係なく、一過性のもので、鎮痛剤で治まるならば気にする必要はありません。 」


まず、今現在の痛みが、薬でコントロールできることにホッとしました。とにかく不調を和らげてやりたいので。そして、もう入院・手術をさせなくてもいいということにも安堵しました。

犬は自分の意思とは関係なく入院させられて、家族と離れて不安な日を過ごし、他の動物の鳴き声にストレスを感じています。当然、手術による体の負担も大きいです。それが分かっていながら、手術を受けさせることに、これまでずっと私も気が重かったのです。

しかし、執刀医のいる高度医療が可能なA病院の先生方に、私が
「生き物はいずれ死ぬのだから、最後は安楽死もやむ無しと思っていますし、その決断を下すのは私自身だと覚悟もしています。この病気の今後の推移や見通しはどうなのでしょう?」
とお聞きしても、明確な回答はなく、今現在の症状への対処の話にしかならないのです。
病名自体は、獣医師の間では珍しいものでもないのに、B病院へ行くまでは、「治療」の話はしても、「生活」の話にまでならないのが不安でした。
それは、B病院の前に行った、セカンドオピニオンのいくつかの病院も同じでした。

私も、うちの犬の寿命がそんなにあるとは思っていませんが、
・あとどれくらい持つのかの見通し
・最期はどういう状態になるのか?
・それに対する対処はどうしたら良いのか?
を知っておきたかったのです。

B病院の先生はとても誠実に率直に、私の目を見てお話ししてくださいました。私の言うこと、質問にもじっと耳を傾けてくださいました。

今回、B病院の先生のお話を伺って心が決まり、ある種、晴れ晴れした気持ちです。
もう好きなことだけさせればいい!


でも、こうして書けるようになるまでに、数日の時間が必要でした。
やはり、B病院から帰ってから、気持ちが沈みました。
わかってはいたけど、もう残された時間は少ししかない。

どうか残りの日々が彼女にとって楽しいものでありますように。
そして私が適切な行動を取れますように。


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